1985年8月12日、羽田空港を伊丹に向け離陸した日航123便は離陸から12分後の18時24分、相模湾上空で後部隔壁の大破により垂直尾翼と油圧系統を全て喪失、ダッチロール状態に陥った。
それでもクルーや管制官の必死に帰還すべく努力を努めたが、18時56分30秒頃ついに群馬県上野村の山中に激突し死者520名という単独の飛行機事故としては史上最悪の惨事に至った!
あれから早くも25年の月日が過ぎ去り、今年も追悼慰霊式が厳かに開かれた!
(以下、引用開始)
日航機事故25年、追悼の火 慰霊式に前原国交相も参列
520人が犠牲になった日航機墜落事故から25年を迎えた12日夕、現場となった御巣鷹の尾根(群馬県上野村)のふもとにある「慰霊の園」で、追悼慰霊式が開かれた。遺族約150人に加え、前原誠司国土交通相や日航の稲盛和夫会長らが参列。遺族らは墜落した午後6時56分にろうそくに点火し、犠牲者を供養した。
式典で前原国交相は、同省が検討している公共交通機関の事故被害者を支援する制度について、2012年の通常国会に法案を提出する考えを示した。被害者がスムーズに補償や生活支援を受けられる仕組み作りなどを目指すという。稲盛会長は「日航は倒産したが、安全は存続にかかわる問題。今まで以上に注意を払い、慰霊式にも一生懸命協力したい」と述べた。
国交相は式典に先立ち、大沢正明・群馬県知事と尾根に登り、「昇魂之碑」に花を手向けた。「歴代の所管大臣として初の慰霊登山だと聞いて驚いた。様々な事故が起きており、国土交通行政の根幹は安全にあると肝に銘じた」と話した。
この日は雨模様の中、早朝から87家族308人(日航まとめ)の遺族が尾根に入った。ただ、遺族も高齢化が進み、登山を断念した人も少なくない。一方で、事故後に生まれた子や孫を連れた遺族も多かった。
事故機が羽田空港を出発するときに、同機のドアを最後に閉めたという元日航関連会社の男性(56)も登った。
あの日、夏休みを楽しむ笑顔の親子連れや歌手の坂本九さんも見届けた。「自分のドアの閉め方が悪かったのか」「自分が送り出してしまった」などと考え、これまで尾根を訪ねられなかった。
25年がたち、「事故を忘れず教訓としなければ」と思い直した。「二度とこんな事故が起きないよう、祈り続けたい」と話した。
(以上、asahi.comより引用)-----------------------
ホント、あっという間の25年である。だがこの間にご遺族の方々の高齢化が着実に進んでいることが月日の流れを感じさせる。
それにしてもあの大惨事から25年も経つのに、これまで慰霊登山を行った所管大臣が誰もおらず、前原ミュージカル相が初という事実には、驚きと共に怒りすら感じる!
この25年の間に、一体どれだけの人間が運輸相やミュージカル相を歴任してきたことか!それらの只の一人として慰霊登山をしてこなかったという事実は、如何に売国ジミンが国民の命を軽んじているかという証左であろう!
それに比して、前原は政治指導者としてまた実務担当者としても無能者であるが、今回慰霊登山を行ったという事実に関しては、素直に評価できよう!
いずれにせよ、この大惨事を風化させることなく後代に語り継がねばならない!そして二度とこのような悲惨な航空機事故が起きないようにすべきである!
最後に、無念にも命を散らせた520名の方々に衷心より哀悼の意を表するものである!

